看護師を目指すきっかけは、母です。

私が看護師を目指すきっかけとなったのは母です。
私の母も看護師で働く姿をみて看護師になることを決めました。

 

私の家はシングルマザーで幼い頃は母の帰りも遅く寂しい思いをしていました。
とくに辛かったのは学校行事に来てもらえないことでした。

 

授業参観日って言葉が嫌になるほど仕事ばかりでした。
周りの子が母親や父親と嬉しそうに帰っていくのも、参観日にそわそわしながら「あれ私のお母さん」って言ってるのを聞くのも子供心にとても嫌だったんでしょうね。
印象深く残っています。

 

印象といえば運動会に来てもらえないこともありました。
弟と一緒に誰もいない、シートだけが敷かれてあり、ポツンとお弁当がおいてあったのを今でも鮮明に思い出せます。

 

この時ばかりは母の仕事を恨みました。
なんで居ないんだろう?
私達よりも仕事が大事なの?って考える時期もありました。

 

私も成長するにつれて私達のためなんだ。
って、分かるようにはなりましたが、やはり子供でしたので不満が大きく母に反発することもありました。

 

あまり看護師という職業に良いイメージはなかったのですが私は看護師を目指しました。

 

それは母の背中を見ていたからです。
子供の頃はよく母の勤める病院に顔を出していたので入院している方々に大変可愛がって頂いていました。

 

祖父母のような存在で遊んでもらえることが嬉しかったです。
そのたびに母への感謝の言葉を聞いていました。

 

そんな母が私にとって頼もしく、一種の倒錯感でしょうか?
当時はヒーローのような存在でもありました。
だから、私も母のようになろうと思ったのです。
学校の卒業文集や将来の夢はいつの間にか花屋さんから看護師にかわっていました。

 

私が最終的に看護師への道を決めたのは中学三年生の高校受験の年でした。

 

母に看護師になりたいことを伝え、高校は五年一貫の看護科がある学校へ進学しました。
受験まで中途半端な気持ちで看護師を目指したらダメだと、私の覚悟を確認するかのように何度も問われました。

 

なぜ、あんなにも繰り返し問われいたのかは進学して理解しました。

 

半端な覚悟では続けられないのです。

 

高校課程の教科に看護教科。
試験は地獄でした。
十何教科もあるのです。

 

中学を卒業したばかりの私達が人体の構造を学び、薬の知識を学び、看護師としての心構えや技術を学びはじめるのです。

 

正直、卒業できるのか不安でした。
五年という長い期間、自分で看護師になりたいという気持ちを持ち続けられるのか?
疑問にも感じていました。

 

挫けそうになることありましたが母の支えがあって私は今、自分の夢をかなえて看護師として働いています。

 

私にとって母は越えられない山だと思います。
はるか先に背中があるのです。

 

ずっと向こうの山頂で私がついてきているのか振り向きながらゆっくりと看護の道を進んでいるのです。
看護の道はずっと続いています。

 

私も焦らずに母の背中を追いかけていきます。
母がたどったこの道を寄り道しながら進んで行こうと思います。

 

看護師になるためのルート

中学卒業からのルートや高校卒業からのルートや、もちろん一旦社会人になってからのルートでも、看護師になる道のりはありますが、最速で適う方法は、中学校卒業後、五年一貫の看護科のある学校へ行くことで、20歳のときに看護師になることができます。
大変なこともいろいろとありますが、それでも人の役に立ちたい、人のために何かをしたい、そう思う気持ちが強いならば、看護師という職種は、一生使える資格ですので、生活をしていくうえでもとても有利な職種です。
日本全国はもとより、海外でも活用することができます。国内では、病院やクリニック、介護施設はもちろん、企業看護や修学旅行についていく業務だったり、看護師に付随する資格を取得することで学校の保健室などもありますね。
実際に近くの病院に行った時、そうした勉強を頑張ってきたのだろうなあと感心する反面、お客様に対するサービスの面で、なかなかレベルが追い付かず、上から目線の看護師がいることは、少し残念な気がしますが、患者へ対する対応がどうであれ、しっかりとした技術と知識で、患者の健康を守れるのが、何よりも求められることなんだろうなあと思います。
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